大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所八幡浜支部 昭和59年(わ)26号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

右猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

訴訟費用中、鑑定人金澤彰並びに証人金澤彰に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五九年五月二一日ころの午後一一時ころ、愛媛県松山市衣山四丁目八二〇番地古川清司方において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤粉末約〇・〇四グラムの水溶液を自己の右大腿部に注射し、もつて覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は本件犯行当時精神分裂病に罹患しており、心神喪失の状態にあつたので無罪であり、仮に心神喪失まで至らずとも、心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、以下、被告人の本件犯行当時における刑事責任能力について判断する。

愛媛大学医学部神経精神医学教室助教授金澤彰医師作成の鑑定書及び証人金澤彰の当公判廷における供述(以下、これらを単に「金澤鑑定」と略記する。)によれば、被告人は昭和三九年頃精神分裂病が発病し、本件犯行当時には精神分裂病の終末状態にあり、幻覚は認められなかつたが、感情鈍麻、意欲減退、社会性欠如などの陰性症状を示し、病識も欠如しており、そのため、事物の是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を欠いていたとし、一方、京都大学医学部精神科助手中山宏太郎医師作成の鑑定書及び証人中山宏太郎の当公判廷における供述(以下、これらを「中山鑑定」と略記する。)によれば、被告人は二一才発病の精神分裂病者で本件犯行時までに一四回の病期を経て、いずれも寛解状態に至り、本件犯行時には精神分裂病の二年足らず続いた寛解期にあり、事物の是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力に著しい低下を認むべき状態にあつたとしている。

ところで、被告人が犯行当時精神分裂病に罹患していたからといつて、そのことだけで直ちに被告人が心神喪失の状態にあつたとされるものではなく、その責任能力の有無、程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機、態様等を総合して判定すべきである(最高裁判所第三小法廷昭和五九年七月三日判決参照。)。

これを本件についてみるに、〈証拠〉を総合すると、被告人は、昭和三九年頃、大学在学中の二一才の時に精神分裂病により松山精神病院に入院し、以来、本件犯行時まで十数回にわたり同病名により精神病院への入院を繰り返し、いずれの時も電気痙攣療法、服薬等の治療を受け寛解ないしは軽快状態となり退院していること、この間、被告人は昭和四三年三月頃結婚して二児をもうけ(昭和五三年頃協議離婚)、昭和五〇年二月ころから昭和五五年一月ころまでは、亡父の跡を継いで冠婚葬祭会社の社長を勤め、一時は対外交渉も自ら担当していたが、右病気の悪化により社長を退き、昭和五六年三月頃からは役員として報酬だけを得て母親と二人で生活していたこと、被告人は、昭和五八年五月頃、知人から勧められて好奇心から覚せい剤を体内に注射して使用するようになり、覚せい剤常用者との交際が深まり、頻繁に覚せい剤を使用するうち、昭和五九年二月頃、遊び仲間と麻雀遊戯中に覚せい剤を自己使用して逮捕、起訴され、同年五月二五日、当裁判所で懲役一〇月、執行猶予三年の判決を受けていること、被告人は、右判決後釈放され自宅に帰つたが、同年五月中旬ころ、自ら現金を持つて覚せい剤仲間の自宅を訪ね、覚せい剤を買つてきてもらつてこれを外見上目立たないように自己の太腿に注射し、本件犯行当日も、同様に覚せい剤仲間の自宅へ自ら赴き、覚せい剤を自分で太腿に注射していること、被告人は昭和五七年五月頃大阪の精神病院を退院した後は、松山市内の精神病院から投薬を受け、本件犯行時までは入院を必要とするまでの病状を呈したことはなく、前件の判決後は、母親に対し、迷惑をかけたことを詫び、二度と覚せい剤を使用しないことを誓い、母親の指示により毎日服薬を続けていたが、本件犯行の数日前頃には母親からみて態度が落着かないやや病状悪化の徴候がみられていたこと、被告人は、本件犯行により昭和五九年五月二二日逮捕され、その後は服薬をすることなく身柄を拘束されていたところ、同年七月一一日の第一回公判期日後、同年九月一〇日から一〇月一五日まで松山刑務所に鑑定留置され(この間に、金澤医師による精神鑑定実施)、その後、精神症状の悪化により同年一二月一一日に勾留執行停止となり、松山精神病院に入院して、翌昭和六〇年三月一一日同病院を軽快退院となつたこと、以上の各事実が認められ、右認定の被告人の精神分裂病の発病から本件犯行時に至る病歴、生活状態、本件犯行前後の行為状況と犯行の具体的態様等を総合すれば、被告人は精神分裂病に罹患しており、その病歴は長期に及びこれまで波状型に増悪期と寛解ないし軽快期を繰り返してきたものであるが、本件犯行時、精神分裂病の終末状態にみられる感情鈍麻、意欲減退、社会性欠如などの陰性症状をともなつていたものの、その程度は重篤といえるものではなく、むしろ、病状の増悪期にみられる自閉、冷淡、無関心、歪んだ印象など分裂病性欠陥状態を明確に示す症状はみられず、社会的寛解状態にあつたもので、本件犯行自体、幻覚や妄想など病的症状に直接支配されたものではないことが窺え、これらからして、被告人は本件犯行当時、行為の是非善悪を弁識する能力又はその弁識に従つて行動する能力を全く欠いていたとまでは至らず、これらの能力を著しく減退していたものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

一  罰条

被告人の判示所為につき

覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

二  法律上の減軽

刑法三九条二項、六八条三号

三  未決勾留日数の算入

刑法二一条

四  刑の執行猶予 保護観察

刑法二五条二項、二五条の二第一項後段

五  訴訟費用の処理

刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、前件の同種犯行により執行猶予付の判決を受けながら、その後一月を経ない僅かなうちに、再び覚せい剤の自己使用に及んだもので、その犯情は悪質といわざるを得ない。

しかしながら、被告人は前示のとおり精神分裂病に罹患しており、波状型に病状の悪化と寛解を繰り返しているものの、病歴は長期に及んで終末状態にあり、本件犯行当時、心神耗弱の状況にあつたと認められること、本件犯行後、鑑定留置期間を含め四八〇日を越える長期間の身柄拘束を受けていること、保釈後は実母の監督に服し、病院へ通院して医師の指導に従つており、被告人には今後、医療機関による適正な治療を受けさせるのが最も望ましいと思料されることなどの諸般の情状に鑑み、主文のとおり再度の執行猶予を付する量刑を相当と判断した次第である。

(裁判官佐藤武彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例